食材探究

医食同源を身近に

暮れに散髪に行く。なじみの会津若松出身の店長としばらくぶりに、マスク越しながら会話をする。勢い正月の話から、ソウルフードであるお雑煮の話になる。会津ではお雑煮でなく、つゆ餅と呼ぶらしい。バリエーションが多いが、野菜や鶏肉、あるいは大根おろしの入った出汁に餅を入れて食べるそうだ。今年は田舎に帰れるので嬉しいと言う愛知出身のシャンプーガールに、名古屋は赤味噌?と聞くと、ちょっと憮然として「うちは醤油ベースです」と言うのが面白い。
日本全国、地域であるいは母親から引き継ぐお雑煮がある。宮城はアワビやイクラといった豪華な食材を入れるお雑煮、千葉の九十九里は出汁に里芋、青のりのみというシンプルなお雑煮だ。

米国で日本の正月に当たるのは感謝祭であろう。
ばらばらに住んでいる家族が必ず集合するという意味では、日本の盆と正月を一緒にしたものかもしれない。11月下旬の感謝祭の前後はどこに行く飛行機もパンパンだ。感謝祭では詰め物をした七面鳥の丸焼きを食べることが習わしである。七面鳥自体は味が淡泊なので詰め物の中身に工夫を凝らす。また小麦粉にトウモロコシの粉を加えてフライパンで焼くコーンブレッドが彼らのソウルフードとなっている。このコーンブレッドもお雑煮同様、家ごとに属人的なレシピがある。子供のときから老齢になるまで、記念日に同じレシピのソウルフードを食べることができるとしたら、幸せな人生に違いない。

東京のお雑煮の具といえば出汁に青菜、シイタケ、鶏肉、海苔が定番だが、祖父が天ぷら屋であったことから、わが家は鶏の代わりにエビの天ぷらが入る。一椀にちょっと小ぶりなエビが二本ほど入ると、天ぷらから出る脂がお餅に合っておいしい。この祖父が戦前に考えた広告コピーが「油断大敵」。当時は外食も稀であるし、脂肪を積極的に摂取する食習慣がなかった。延暦寺の法灯を絶やさないために、火種の油を切らさないようにというのがこの語源ながら、これを天ぷらの油にひっかけて油を摂りましょうとアピールしたのはいまでも秀逸だと思う。

医食同源を身近に

この50年の食生活の変化を見ると一人あたりの脂質の摂取量が五倍に増えている。一方昭和21年のカロリー摂取量が現在よりも多いことに驚く。肉を食べることが少なかったのと、物流が悪く新鮮な魚介が山間部では手に入りにくいこともあった。また牛乳、乳製品も一般的ではなかった。つまりどんぶり飯で炭水化物のみならずたんぱく質も摂っていたことになる。今では脂肪の摂り過ぎは動脈硬化や心臓病になると脅かされるが脂肪を摂取するようになった意義は実は大きい。日本人の体力はこの間どの年代でも直線的に向上しているし、事実同じ60歳でも昭和35年と今では老け方が全く違う。この理由は脂質摂取の増加にあるのではないかと考えている。

鮭の皮、鶏の皮、焼きサバのおいしさはこたえられない。甘味・旨味・塩味・苦味・酸味の味覚と違って、油自体の味は感じないが、味覚を油が包むと脳が喜ぶような感覚を受ける。脂肪の成分である脂肪酸という物質のセンサーも舌にあり、脂肪のおいしさを感じて脳に伝える。最近オリーブオイルと魚介を多く摂取する地中海食が認知症の予防にいいことがわかってきた。脂肪センサーの一つCD36という分子が活性化されると脳神経に働いて、アルツハイマー病の原因となるアミロイドを除去するという。また脂肪を含む食事を摂ると、うつ病の予防や治療の効果がある。

医食同源を身近に

小説家の水上勉に『精進百撰』(岩波書店)という本がある。心筋梗塞で心臓の三分の二の筋肉が壊死を起こし三年近く入院をしていた水上勉が、沢山の薬の副作用と病院での拘禁生活に疲れ、意を決して病院を脱走して、長野県北御牧村に庵を立て、気ままに調理した精進料理を食べるうちに健康を回復するという痛快な話である。水上勉は学童期にお寺の小僧をしていた。この本には自己流精進料理のレシピが美しい写真とともに紹介されている。精進料理だから肉、魚は使わない。しかし、精進料理はあっさりしているという先入観に反して、どれもこれも実においしく思える。胡桃や胡麻に加えて意外に揚げものが多く、油を使う料理が多い。なかでも「黄檗(おうばく)風てんぷら大根」 は複雑なレシピだ。考えてみれば精進料理は中国から仏教とともに伝わっているのだから、原型は中華料理と考えて差し支えない。江戸時代までは庶民が油で調理した料理を食べることは稀であった。一汁一菜ではあっても、僧侶たちは栄養価が高い、恵まれた食事をしていたことになる。水上勉はその後15年生きた。

心筋梗塞で死ぬことが少なくなったのは医学の進歩ではあるが、自分の体調にお構いなしに処方される、沢山の薬に閉口する人も多い。水上勉が食で健康を取り戻した話は、食材と胃腸、そして腸内細菌が働くと、心臓の機能も回復できるというからだの回復力の可能性を教えてくれる。自分のからだにあう食材を適切に調理し、口から栄養を摂ること、まさに医食同源である。例えば鯖は、動脈硬化や認知症を防ぐ脂質を豊富に含んでいる。実は医食同源と言う意味では、生の鯖を調理するよりも、現代の技術で作った鯖缶を食べるほうが、より多くのカルシウムも摂取でき、品質や食の安全も担保される。最近では金華山沖で獲れる金華鯖など、栄養価が高い高級ブランドの鯖缶も登場している。精進料理に加えて鯖缶を食べていれば、さしあたり認知力、筋力、免疫力には申し分ない栄養を摂ることができる。医食同源の観点からみると、日本の各地に隠れている優れた食材を最新の技術で調理し、効率よい物流で各地に届けることが国民の健康増進につながるであろうし、さらに海外へも届けることができれば、日本のヘルスケアの国際展開になるであろう。

「おせちもいいけどカレーもね」というコピーは昭和52年であった。おせちに飽きたら三が日でもカレーを食べていいんだ、という自由な発想に、当時驚いた記憶がある。おせちも今では専ら出前食になってしまったが、一家のソウルフードは次世代に遺していきたい。

堀江重郎

堀江重郎
順天堂大学大学院医学研究科 泌尿器外科学主任教授
かまくら春秋2022年1月号「二階から目薬」16より

画:吉野晃希男